平坦な人生
2011年 01月 11日
今朝9時の銀座は、またまたの3度、冷え込んでいます。
数日前、天気予報を見ていたら、日本海側の大雪は意外なことに、去年の「猛暑」が原因しているのですね。海水温と大気中の温度の差が大きな雪雲を発生させているのだとか、記録至上初の猛暑は、記録至上初の短時間積雪と密接に関係しているのは、皮肉ではありますね。
なぜか昔から、サザエさんの家にあこがれていました。
はじめて「サザエさん美術館」に行った時、全景の模型を見て、その広さに驚いたのですが・・・。
あの、平屋で(2階はありません)、門があって、潜り戸で脇から物干と盆栽(お父さんが大事にしているがよく野球のボールが飛んでくる)と小さな物置(いたずらをするとカツオが閉じ込められる)庭と、庭に面した縁側(タマがよくひなたぼっこをしている)がある、そんな家。
でも、この異常気象の世の中、平屋は危険かも知れませんね。洪水の時に。
また、最近は竜巻も多いから木造も危険かも・・・なんて、天気予報を見ながら考えていました。
人生は平坦だと信じていた頃に考えていた理想の家。
バブルの頃、億ションと騒がれた高級マンション(それは広尾の日赤裏にあった)に住んでいる友人の家に泊まりに行った時も、素敵だとは思ったけれど、住みたいとは思わなかった。
それは、田舎の庭付き一軒家においても同じ気持ちだった。週末の家にはいいけれど、やはり、商店街や近所に学校や図書館がある、すこしガチャガチャしたところがいい。
話は変わり、
生きていると楽しい事、辛い事、困難な事、そして、たくさん痛い目にも会います。人から受ける困難もあるし、知らずに人に負わせてしまっている困難もあるかもしれない。
安穏と生きて行ければ一番良いけれど、そんな人生には戻れないから、今は、それを「すごみのある強み」として人生の味方につけて、いければと思っています。
「時薬」(ときぐすり)とわたしは言ってきていましたが、トムさんから、『それを言うなら「日にち薬」だよ』と言われました。
もともとは病の快復を意味したのだろうけれど、今は、心のありようにも使われますよね。
昨日、電話ではありましたが、先日亡くなった方の親族から、すこし嬉しい進展の報告をしてもらいました。
それは、そうなればいいな、きっと故人の望んでいた事だろうなと思いつつも、「私が口を出すべき事ではない」と考えて言い出せなかった事だったのです。
また、お互いに時おり泣きながらの、でも、時おり冗談で笑ったりもできた、そんな会話でした。
その時「日にち薬」と、思いました。
年末に日記を書いた時は、世の中の「心理カウンセラー」の仕事においての一番は「傾聴」であると知ってはいましたが、・・・そうなのだ、今、わたしが一番して欲しい事、それは「共感を持って聞いてもらうこと」なのだ・・・そう思いました。
でも、今の気持ちは例えて年末を「ステージ1」とするならば、もう少し穏やかな日常と寄り添った形の悲しみ方「ステージ2」なような気がしています。街で似ている人を見かけて・・・「ちがうちがう」と思ったり、美味しい焼酎を呑んだときに「ああ、この銘柄を覚えて今度買って持って行こうか」と思って、また、「いやいや」と思ったり。
まあ、そんな感じで、「日にち薬」が効いてきているようです。
みんなに心配かけて、ごめんね。感謝感謝。
*実家の近所の残堀川で、まんまるになってる鴨・・・器用だなあ*
数日前、天気予報を見ていたら、日本海側の大雪は意外なことに、去年の「猛暑」が原因しているのですね。海水温と大気中の温度の差が大きな雪雲を発生させているのだとか、記録至上初の猛暑は、記録至上初の短時間積雪と密接に関係しているのは、皮肉ではありますね。
なぜか昔から、サザエさんの家にあこがれていました。
はじめて「サザエさん美術館」に行った時、全景の模型を見て、その広さに驚いたのですが・・・。
あの、平屋で(2階はありません)、門があって、潜り戸で脇から物干と盆栽(お父さんが大事にしているがよく野球のボールが飛んでくる)と小さな物置(いたずらをするとカツオが閉じ込められる)庭と、庭に面した縁側(タマがよくひなたぼっこをしている)がある、そんな家。
でも、この異常気象の世の中、平屋は危険かも知れませんね。洪水の時に。
また、最近は竜巻も多いから木造も危険かも・・・なんて、天気予報を見ながら考えていました。
人生は平坦だと信じていた頃に考えていた理想の家。
バブルの頃、億ションと騒がれた高級マンション(それは広尾の日赤裏にあった)に住んでいる友人の家に泊まりに行った時も、素敵だとは思ったけれど、住みたいとは思わなかった。
それは、田舎の庭付き一軒家においても同じ気持ちだった。週末の家にはいいけれど、やはり、商店街や近所に学校や図書館がある、すこしガチャガチャしたところがいい。
話は変わり、
生きていると楽しい事、辛い事、困難な事、そして、たくさん痛い目にも会います。人から受ける困難もあるし、知らずに人に負わせてしまっている困難もあるかもしれない。
安穏と生きて行ければ一番良いけれど、そんな人生には戻れないから、今は、それを「すごみのある強み」として人生の味方につけて、いければと思っています。
「時薬」(ときぐすり)とわたしは言ってきていましたが、トムさんから、『それを言うなら「日にち薬」だよ』と言われました。
もともとは病の快復を意味したのだろうけれど、今は、心のありようにも使われますよね。
昨日、電話ではありましたが、先日亡くなった方の親族から、すこし嬉しい進展の報告をしてもらいました。
それは、そうなればいいな、きっと故人の望んでいた事だろうなと思いつつも、「私が口を出すべき事ではない」と考えて言い出せなかった事だったのです。
また、お互いに時おり泣きながらの、でも、時おり冗談で笑ったりもできた、そんな会話でした。
その時「日にち薬」と、思いました。
年末に日記を書いた時は、世の中の「心理カウンセラー」の仕事においての一番は「傾聴」であると知ってはいましたが、・・・そうなのだ、今、わたしが一番して欲しい事、それは「共感を持って聞いてもらうこと」なのだ・・・そう思いました。
でも、今の気持ちは例えて年末を「ステージ1」とするならば、もう少し穏やかな日常と寄り添った形の悲しみ方「ステージ2」なような気がしています。街で似ている人を見かけて・・・「ちがうちがう」と思ったり、美味しい焼酎を呑んだときに「ああ、この銘柄を覚えて今度買って持って行こうか」と思って、また、「いやいや」と思ったり。
まあ、そんな感じで、「日にち薬」が効いてきているようです。
みんなに心配かけて、ごめんね。感謝感謝。
*実家の近所の残堀川で、まんまるになってる鴨・・・器用だなあ*
by sanponideyou
| 2011-01-11 13:05
| 日記